那珂組コラム

白鵠会 定例会4月

白鵠会・定例会

日時:2024年4月3日(水)15時~ 会所:光明寺
テーマ:『子ども(若者)・親子に向けた法話』
講師:今泉真也(善教寺)

今回、「願われている私」というテーマで法話をさせていただきました。

私たちは自分の願いや思いを通そうとはしますが、自分にかけられている願いや思いには気づきにくいものです。特に子供の頃、私自身がそうであったように「なんでわかってくれないの」という思いはたくさん抱いても、「相手の気持ちをどれだけわかろうとしたか」と聞かれるとやはり疑問が残ります。

その経験から、お寺に親子でお参りに来てくれた時の状況を想定して話をさせていただきましたが、やはり自分で作成して話をするというだけでは、気づけない部分が多々あります。

例えば、「あれも言いたい」「これも伝えなくては」と言う思いをそのまま言葉にしてしまったがゆえに、聞く方としては情報が多く、特に「子供相手では大変ではないか」というご指摘をいただきました。10分前後という時間の中では言いたいことを一つに絞って、話を深く掘り下げていくということが大切だということを痛感しました。

また、今回は願いや思いを受け取る側に焦点を当てましたが、言葉を発信する側としては、言葉を扱うということの重みと責任も感じなくてはなりません。

心や思いが大事だから言葉はどうでもいいということではなく、心や思いが大事だからこそ、それが伝わるにはどんな言葉を選ぶべきなのか、どんな表現が適切なのかということには慎重になるべきです。でなければ、「そんなつもりで言ったわけじゃないのに」という不本意な結果を招くことになります。どういう言葉を使うべきか、あるいはどんな表現が伝わりやすいのかということに関してはその都度精査しながら、引き続き研鑽を重ねていきたいと思います。

担当講師 今泉信也

 

法話後には、第2部の「時事耕論」。今回は「各法座における講師の選定」について耕論しました。

各寺院における法要では、法話に関して外部講師(僧侶など)に依頼します。住職が法話をされることもありますが、布教使という布教を専門的に学ばれた僧侶にご依頼をすることが多いです。

布教使も年齢や経験など、個々に布教での特徴があります。どのように講師の選定をされているのかは、各寺院によって理由がありましょう。

様々な意見が出ましたが、いくつかご紹介します。

・寺院によってご法座の雰囲気がある。それに合うような講師

・ご門徒の目線を大事にする

・講師の法話を一度はお聴聞をしてからご依頼をする

・住職自らご法話することも大事である 他

耕論を通して、僧侶自らがお聴聞を大事にすることを改めて確認しました。

井上浄英(那珂川市・真教寺住職)

 

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