3月に入り、境内の枝垂れ桜の蕾も膨らみ始めました。彼岸の入りの頃には満開となっている事と思います。
さて、彼岸を迎えると忘れられない想い出があります。
それは40年くらい前の話です。当時、ご法事といえば三部経さまでした。正座で2時間くらい読経を続けますので、膝の痛みに耐えながらお勤めをしていたことを昨日のように覚えています。
その頃、近くにペット霊園がありました。ある時その霊園の方から犬ちゃんのお参りの依頼がありました。当時、父である住職は門徒の法事を受け持ち、私がペット霊園へお参りに行くことになりました。その後、その霊園から何度もお参りの依頼がありました。ある春の彼岸でした。私はペット霊園でのお参りに違和感を感じ、依頼をお断りしました。それ以降、二度とお参りすることはありませんでした。
今思えば、私は人間と動物の命を天秤にかけ、動物の命を軽んじている私がいました。ペットを亡くされた家族の方に寄り添う心を持てずにいたことを申し訳なく、ずっとその気持ちを引きずってまいりました。
仏教の根幹は『全ての命は平等である』ということ。
今、私達は人間至上主義で、いろいろな生き物を殺し、自然を破壊し続けています。いろいろな生き物と共存し自然を守ることを伝えていくことが、仏教徒である私達の使命ではないかと私は考えています。
私事ですが、今、保護猫2匹と家内とで暮らしております。更に先日2匹家族が増えて、多忙でも楽しく生活しています。
猫ちゃん達と暮らしていろいろな事を教えられました。それは、よくケンカはしますけれど、相手が本当に深く傷ついたり、ましてや決して殺めたりはしないという事です。私達人間は、身口意の三業でいろいろな人を傷つけたり時に殺めたりしてその歴史を築いてまいりました。
一人でも多くの方が全ての命に向き合い、仏さまのみ教えを聞き、そのみ教えに生きてくださることを心より願っております。
私も、残りの人生が少なくなりました。この歳まで生かされて来たことに感謝の日暮しをこれからも送ってまいります。
明応寺 住職
藤野 光信