2023(令和5)年2月14日(火)午後1時半より、南区五十川の妙楽寺で寺族婦人会の研修会が開催されました。
コロナ禍による休止を経て、久しぶりの研修会になりましたが、多くの参加者の皆様方とお会いできたことが何より嬉しく、とても短い時間でも有意義な研修会となりました。
会所住職の調声にあわせて『讃仏偈』をお勤めし、讃歌『真宗宗歌』に続いて初めて『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』を唱和させていただきました。
同副住職の法話にも、この『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』の味わいについてが盛り込まれ、第一段目(勧学寮の解説で第一段「お念仏のこころ」と示され詳しく説明されているところを要約して)の「南無阿弥陀仏」に続く3行が【教】にあたり、次の2行が【信】、次の1行が【証】、最後の1行が【行】にそれぞれあたりますよという、お領解の方向性が解説されました。第一段目は順番こそ変わりますが、親鸞聖人が撰述された『教行信証』のご法義を味わう段であるということです。順番を変えて【行】が最後に回されているのは、お念仏により続く第二段と第三段とが開かれることを思し召し下さってあるためであろうと思われるとのことでした。
勧学寮解説の第二段「師の恩を讃える」は、この度に新たに加えられて「領解文」とされる所以の段落でありますが、「この御ことわり聴聞申しわけ候うこと御開山聖人御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候う」の現代語訳をお記しになられてあり、新しい「領解文」に示される〈これ〉は解説に〈愚身の私が往生させていただく手段は、すべて阿弥陀さまの方で完成されていますので、これを「他力」といいます。この「他力の法門」を数あるお釈迦さまの教えの中から見出してくださり、この私に至るまでお伝えくださった〉ことを指すと、つまり第一段目の【教】【信】【証】【行】をお領解させていただいたご縁そのものを指すと味わうべきと解釈して差し支えないということでした。ご縁の尊さ有り難さを指すということで、第二段目を〈歴代宗主のお導きに感謝しなければなりません〉と解説にはありますが、これも広く『恩徳讃』の報ずべし謝すべしの【報謝】にあたると頂いてまいりましょうということでした。
第三段目は、他力のご信心を頂く前の愚身は、ただ単に「煩悩」の発露(ほつろ)しか持ち得ない私たちであります。ご信心を頂いてその願力回向の「信心」の発露が煩悩に混じり来たらしめされ得るということについてが示されていると味わいましょうということでした。解説文にも〈くれぐれもそのように努力しなければならないという意味ではありません。自ずからそのような念仏生活ができるという意味ですのでご注意ください〉と注意書きがあるそうです。勧学寮は第三段「念仏者の生活」と題してありますが、これば「ご信心の発露」を意味し、教団に所属する全ての人々という広義の「念仏者」のことでは無い、信心の念仏者という狭義の意味で取らなければならないということで、信心の発露という言葉では難しさを否めないということであれば、徳永一道和上もお好きでいらっしゃった基幹運動の時の【信心の社会性】と表現してはどうだろうかということで『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』の味わいを結びとされました。
その後、この春にお勤めされます『新制 御本典作法』の味わい、殊に『正信念仏偈』をともどもに唱和させていただくことが肝要であり、お経本には『行巻』からと示されてはいても、この『正信念仏偈』にこそ『顕浄土真実教行証文類』全六巻の御教えが完備されていて、たとえ門信徒の皆様が「他のお勤めのところは難しくて無理だ」とあきらめられても「お正信偈が大事なのですよ、大丈夫ですよ」とお声がけ下さいとお話しされ、御文章「聖人一流の章」の拝読をもって法話を終えられました。
その後、事務的なお話しや、会の今後についてのお話しなどを皆さんで協議して過ごしました。コロナ禍ということで茶菓は今回も持ち帰りという短い時間ではありましたが、久しぶりの寺族婦人会研修会をとても有意義に過ごさせていただきましたことをご報告いたします。
南無阿弥陀仏