那珂組コラム

那珂組コラム

今月の法話 令和5年 4月[ 松源寺 天野琴美 ]

照 千 一 隅

三月は、卒業・旅立ちの季節、四月は、入学・就職・出会いの季節であります。私も、入学・就職の時にはドキドキしながら新しい環境に胸を躍らせていました、
こんな私も、半世紀を生かさせてもらっております。人生100年時代と言われているこのご時世では、まだまだ半分と思う気持ちと、もう半分まで来たと思う気持ちとあります。私は、幼き頃から不思議と 100 歳まで生きているのではと変な思いがありました。
しかしながら、いざ 50 歳を目の前にしたとき、私はいくつまで生きることが出来るのだろうと真剣に考えた時期がありました。何歳まで生きられるか、誰にもわからないと云うのに、今思うととても不思議ですが…
私の両親は、どちらも 60 代後半で往生しました、それを思うと、私も生きてあと 20 年も無いのかなぁと勝手に自らの寿命を決め込んで、考えこんでいた時期がありました。あと 20 年、いったい何をしようか、何が出来るのかと。

「一隅(いちぐう)を照(て)らす」

という最澄さまのお言葉があります。
僧侶となるため、勉強をしているときに講師の先生により「光が当たりそうにない、隅(すみ)っこにいようとも阿弥陀さまの光は必ずとどく」と教えていただきました。そんな時、とある本に出会ってほかの解釈もあることに気づかせてもらいました。一隅は「隅っこ」という事は同じですが、どんな環境であろうともおかれた場所・立場によって任されたことに対して精一杯取り組むというものでした。
あと何年、生きていられるかなど誰にも分かりませんが「今自らの出来ることを精一杯させてもらう」このことが大切なんだなと思わせてもらったお言葉でした。
いつでも「私を見守りともに歩んでくださる阿弥陀さま」がいらっしゃいます。今日を、今を、精一杯生かさせていただきましょう。

合 掌

松源寺住職 天野琴美