那珂組コラム

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今月の法話 令和6年 2月[ 明應寺 藤野晃信 ]

受け止める 大地のありて 椿落つ

梅の花が咲き匂う頃となりました。皆さまにはご健勝にてお過ごしのことと存じます。


今年の元日は能登大震災により、亡くなられた方や、今でも避難生活を送られてある方が沢山おられます。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

その現状をテレビで見ながら、いつもと変わらぬ自分が居ました。小慈小悲(僅かにも他の人の立場を哀れみ、その悲しみを思いやる心)も無い、浅ましい私です。今から13年前の2月8日に実父が往生(逝去)しましたが、その年の3月11日に、東日本大震災が発生しました。忘れられない記憶でありながらも、月日の流れとともに東日本大震災のことを忘れかけてさえ居た。まさに無慚無愧の私です。

仏さまの教えというのは、何らかの開眼のような体験を通し、自分の人生を転換することです。全ての命は平等であります。しかし、人間至上主義によって、猿や犬や猫など沢山の命が行政や研究のために奪われています。人間が命を繋ぐために奪われる命もまた多く、動物たちは自分の命を繋ぐため最低限の命しか取らないのに、人間は必要以上の命を奪うことを省みもしません。

以前にも記しましたが、いま私は2匹の保護猫と暮らしています。彼らは生きるために、好き嫌いも言わずに食事をします。動物たちは深い罪を造っていますでしょうか?私にとって彼らは、お念仏の教えを勧め導く善知識さまでもあります。怒りもせず、噛み付くこともせず、ただ、お腹がすいた、遊んでほしい、そのような時に鳴いて知らせてくれるだけ。それに比べて私は、毎日、身・口・意の三業に何某かの罪を造って生きてしまいます。雄弁は銀、沈黙は金、ただ口に心にお念仏だけを称えて生きていたいのではありますが。

私は7年前にある病気を発症し、色々な病院で診察して貰いました。過呼吸の症状等が酷くて救急車で搬送されたこともありました。でも、どのお医者さまの診察を受けても「異常ありません」の一言で終わっていました。ところが、最後に辿り着いたお医者さまのおかげで病気の原因が明らかになり、今は安心して治療を受けることができています。ただ、私の人生も残り少なくなりました。お医者さまにも出会いによる当たりはずれが強く感じられてしまうように、僧侶についてもお医者さま以上に同じことが言えるように思います。同じ袈裟衣をまといながらも、研修という名の旅行三昧、親睦という名の美食三昧に浸っている人が現に存在します。ご用心、ご用心。称名三昧に日暮らしをさせて頂きながら、お浄土の大地に生まれる慶びをかみしめかみしめ、残りの日々を猫たちや皆さま方と歩んでまいりたいと思います。年寄りの愚痴とでも心にとどめて下さいませ。

明應寺 住職 藤野 晃信