『 め ざ め 』
人には皆夢があります。有名な所ではアメリカのキング牧師「私には夢がある。かつての奴隷の息子たちと、かつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢がある」師の夢は黒人の立場としての夢です。そこまでいかなくても平凡な一個人として様々な夢があることでしょう。みな自分に出来る範囲で努力し紆余曲折を経て、夢や願いを実現したり、その途中であったり、挫折したりして一生を終えていきます。夢や希望は自分の意志で起こしますので、年齢と共に変わっていきますし、時代の空気や経済などからも影響を受けます。
古代インドのバラモン社会では、人の一生を四つの期間に区切り、学生期(勉強)、家住期(労働)、林住期(内省)、遊行期(求道)があったそうです。いずれにしても一生を貫く、老若男女を問わない人生の目標、目的、人はこの事一つに遇う為に生まれて来たという、その答えに出遇えてこそ真の幸せと言えましょう。しかし現実は反対で多くの事を知れば知るほど迷いは深まり、自分の本当に進むべき道や方向が分からなくなって参ります。
親鸞聖人は念仏すれば一切の迷いの根源は断ち切られ、すべての人々の究極の願いや夢が満たされると教えて下さいます。個別の夢や願いは意識の世界ですから分かりやすいのですが、究極の願いとはすべての人々の心の奥底に宿されたもので、無明という人間のはからいに隠されているので、自分の力では分かりません。その無明の闇と深き志願の世界に導いて下さるのが、南無阿弥陀仏のお念仏なのです。蓮如上人はそのことを「後生の一大事」、親鸞聖人は「生死いづべき道」と教えて下さいました。
時代は変わりましても、人の心は変わりません。徒に時代に迎合し、安直に現代の価値観に飛びつく事は、慎まなくてはなりません。浄土真宗はお念仏の中に込められた仏の救いを、聞法という鍵で開けて真実の宝に出遇わせて頂く道でありました。
合 掌 南無阿弥陀仏
光徳寺 住職 藤野 良信