いよいよ8月、夏本番ですね。
私のお寺でも10日から本格的な盆参りが始まり、13〜15日の三日間は初盆のお宅を中心にお参りさせていただいてます。
朝7時にはお寺を出発し、帰りは日が暮れるまで、ご門徒のお宅へ奔走する六日間。
忙しい中にも、一年に一度、お顔を合わせる楽しみなご縁でもあり、一軒一軒のお宅の滞在時間は短いものの、できる限りご門徒方との会話を大事にさせてもらっています。
『お盆』とはー
さて、お盆は正式名称『盂蘭盆会(うらぼんえ)』と言い、 浄土真宗では『歓喜会』(かんぎえ)ともいいます。
「お盆」という言葉は、 インドのサンスクリット語「ullambana/ウランバーナ」という言葉が 中国で音訳され、そこに漢字を当て「盂蘭盆(うらぼん)」となりました。 それを簡略したのが「お盆」です。では、「ウランバーナ」とは一体どういう意味なのでしょう?
直訳すると、私たちの思う『お盆』とはかけ離れた意味になります。
「ウランバーナ」は直訳すると『倒懸(とうけん)』=『 逆さ吊りの苦しみ 』。(汗)
…なんとも恐ろしい響きですね、、。
元々「お盆」の由来となった『盂蘭盆教』には、
『倒懸(逆さ吊りの苦しみ)から救われる』という話が説かれています。
では、そもそも「お盆」はどんな意味なんでしょう?それは『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』に出てくる仏弟子・目連(もくれん)尊者の故事に由来します。
『盂蘭盆経』:目連尊者の故事とは?
お釈迦さまの弟子である目連尊者は、”今頃亡き母はお浄土で何をしているだろうか…”と、修行によって身につけた六通という能力で母親をみたところ、あろうことか、お浄土ではなく、地獄の餓鬼道に落ちていたことを知ります。
嘆き悲しんだ目連尊者はなんとかしたいと、お釈迦さまのもとへ行き、一部始終を話して救いを求めます。
すると、「安居(あんご・僧侶の勉強期間)が終わり、 僧侶が僧院から出てこられる7月15日(旧暦)、お荘厳を整えて、僧侶を迎え、ご馳走を振る舞い、共々にお参りしなさい」と、 お釈迦さまの教示に従って行ったところ、地獄の餓鬼道に落ちていた母親は救われた、というお話しです。
このような故事を由来として、「親や先祖を思う気持ち」と「仏法を敬う心の大切さ」が、お盆の行事を通して伝えられるようになりました。
我々真宗門徒は、先だって逝かれた方を偲びながら、 この「私自身」が、仏法に耳を傾けていく、出遭っていくことを大事にします。
私たちが手を合わせる「阿弥陀如来」という仏様は、
お盆の3日間しか帰ってこない仏さまではありません。
何時でもどこでも、どんな時でも、私たちを照らし、導き、育てて下さるのが阿弥陀さまであり、先立って逝かれた方々です。
浄土真宗における「お盆」。それは、日頃忙しい私たちですが、せめてこのお盆の時くらいは、ご家族で仏さまの前で手を合わせ、いただいたいのち、日々の日暮らしに感謝・御礼を申し上げる。今は亡き方を偲びつつ、この私自身が仏法に出遭うご縁といただきましょう。
何時でもどこでも、どんな時でも、私たちを照らし、導き、育てて下さる仏さま。
ご家族で仏縁に触れる、大事なご縁にしたいですね。