美しく老いる
拙寺前住職・髙原信一(来月92歳)が31年前、福岡大学の教授時代に老人クラブ連合会会長・内野豊年先生から依頼を受け、那老連の機関紙に寄稿した原稿をご紹介します。
これは、春の彼岸の折、ご門徒様が「おばあちゃんの遺品の中にありました」と届けて下さった原稿です。
********************************
私自身もう60です。寺の庭に並べた鉢に朝夕水をやるのが、この夏から秋にかけての日課でした。ところが、10日程前から右手をひねって物を取ったりすると、右肩に数秒かなりの痛みを覚えるようになりました。そこで、如露の水を半減したところです。まさに老いを自覚させられたこの頃です。
大学のキャンパスの若者は美しい。私よりはるかに背の高い、はつらつたる美女に見とれることもあります。同時に、定年にはまだ時間があるはずなのにボトボト歩く同僚の姿に自分の姿を見る思いで、老醜をさらしたくないと密かに思います。年とともに老いることは誰も避けられません。
若者は常に美しいかというと、そうではないようです。空しく時を過ごしている、活気のない、背を丸めて歩く若者も見かけます。他方、教室でも生き生きと、ニコニコしている若者の姿に、私はもう一つの美しさを見ます。生きがいを感じている若者です。
那珂川町老人クラブで仰言っている「美しく老いる」というテーマの「美」とは、この「もう一つの美」であろうかと思います。
豊かさについても、収入や資産の多いという一つの豊かさに対して、それほど収入・資産は多くなくても、足るを知る、ゆとりと感謝の気持ちを持った、愚痴をこぼすことのない人、つまり、もう一つの豊かさを身につけた人にお会いすることがあります。
「美しく老いる」とは、老いてなお、「もう一つの美しさ」を身につけた生き方をすることでしょうか。
インド・カルカッタの聖女マザーテレサがノーベル平和賞を受賞した頃、岡山県長島愛生園で、らい患者に十数年に渡って親身に接してこられた女医、神谷美恵子さんは、マスコミに騒がれることもなく静かに65歳の生涯を終えられました。それから10年ほど、私は大学で一般教育の宗教学講義の序論として、神谷美恵子さんの「生きがいについて」「遍歴」などを紹介してきました。神谷美恵子さんの「病床の詩」の中から一つだけ紹介しましょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【のぶに】 (註「のぶ」は生物学者・神谷宜朗氏)
のぶよ あなたはあまりにやさしい 病める妻をいとおしみて 赤児のごとく いたわりたもう
私は今や赤児のごとくなって 何もかもあなたの手にすがる
でも 寒い夜など…きついつとめを終えて 私の注文のかずかずをもって
私の注文のかずかずをとりにきて 何よりも私の顔をみにきて下さる
一人残される あなたを思うと 一日でも せめてたしかな あたまで 生きながらえて
これから少しの日々でも あなたの道ずれと なるべく 努めたい 身をつつしみたい
私は もうたくさん生きて たくさん この世のめぐみを 頂いて そっと 去って行きたいとは思うけれど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神谷美恵子さんの病床にあって、いたわりを素直に受ける心、看病してくれる夫への優しい思いやり、足りるを知る心、感謝しつつ生き抜こうとする心、そこに本当の美しさ「もう一つの美しさ」を感じることができます。「愚痴こそ生きがい感の最大の敵である」という彼女の言葉を記してペンを置くことにします。
********************************
教徳寺
髙原 隆則