那珂組コラム

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今月の法話 令和4年 8月[ 浄福寺 佐々木成明 ]

ご門徒さまへ - 納骨堂の意義 -

遺骨への着想から

近年、テレビや新聞で、お骨の埋葬について「樹木葬」「海への散骨」などが話題となりました。以前、ZOZO TOWN創立者・前澤友作氏の宇宙旅行がニュースになりましたが、最近では「宇宙葬」なるものもあるそうです。
そうは言っても、お骨のご安置は、霊園や墓地、納骨堂が多いようです。お骨への考え方は様々でしょうが、ここでお骨について、また「納骨堂」について考えてみたいと思います。

中国の法顕法師『仏国記』の言葉

さて、有名な中国の話で「西遊記」があります。三蔵法師が孫悟空・猪八戒・沙悟浄の3人をお供にして、中国から天竺(インド)へシルクロードを渡り、お釈迦様のお経を頂きに行く物語です。天竺への道は、かなり過酷を極めた熱砂漠の旅路であったに違いありません。実際には、三蔵法師(玄奘三蔵)をはじめ、幾人もの高僧方がインドを目指しました。その高僧のお一人である、中国の法顕法師の言葉があります。

砂漠に悪気熱風あり/遭えばたちまちにし死して/全うするものなし/上に飛ぶ鳥なく/下に獣なし/ただ死者の白骨をもって/標識となすのみ/」(法顕『仏国記』※註1)

これは、砂漠で行き先に不安を抱く法顕法師が、何の目印もない中でインドを目指しながらも、道半ばで倒れ、その場に残された先人方の白骨が標識となり、私の進路を教えてくれたのだ。とお骨に合掌された言葉であります。

辛い別れだけではない世界

私たちは、必ず人の死に出会い、お骨を目の当たりにします。 しかし、ともすると大切なお方のお骨を前にし、辛い別れの涙のみに終わらせている事もあるのではないでしょうか。亡きお方は「私のお骨ばかりを見ていてはダメですよ。私のお骨の指差す方に目を向けておくれよ。」と、深い悲しみの中で右往左往している私たちを、声なき声をもって“仏縁”へと導いて下さっているのだとお聞かせいただいております。亡きお方とのお別れをご縁に、阿弥陀如来様を目に見て、お経を耳に聞いて、数珠を手にするその身こそ“お念仏のご人生”への第一歩でありましょう。

季節を問わず、雨、風、雪の心配もなく年中いつでもお参りができ、毎日、勤行やお念仏の声の聞こえるお寺の境内に建てられた「納骨堂」は、単に丘陵に立つ霊園や墓地のお墓よりも“仏縁”を結ぶに相応しいお墓だと味わせていただいております。
お浄土の亡きお方と共に、これから「お念仏のご人生」を歩むお心を大切にして頂きたいとの願いをもって建立されたのが「納骨堂」です。

合 掌

※ 註1:法顕(ほっけん、337年-422年、中国東晋時代の高僧)
シルクロードを経由してインドに渡り、中国に仏典を持ち帰った。彼の記した旅行記『仏国記』(別名『法顕伝』『歴遊天竺記伝』)は、当時の中央アジアやインドに関して書かれた貴重な史料となっている。

浄福寺住職
佐々木成明