『 暑くても 寒くても 』
お寺には、日常的に様々なお電話をいただきます。ご参拝の方がおられない日はあっても、お寺の電話が鳴らない日はまずありません。大半はご法事のご相談やお仏壇のお祀りのやり方など仏事にかかわることなのですが、その次に多いのがいわゆる営業電話です。
梅雨、そして夏が近づいてくるこの時期になると、数年前の今頃にあった一本の営業電話のことを思い出します。
曰く、「お寺の本堂のエアコンを新しいものに変えませんか。これまで使用していたものは下取りします。」とのことです。
現在、光照寺の本堂にはエアコンを設置していないのでそのご案内は不要であることをお伝えすると、エアコンが設置されていないことに驚かれた後に、なんとも驚く次の営業トークが始まりました。なんと、「エアコンを設置するとお参りが増えますよ(ご法事の数が増えますよ)。」と仰るのです。つまり、お電話をかけてこられた方は『暑さを我慢するくらいなら法事はしない』というお考えの方だったのでしょう。
そもそもご法事の数を増やすことがお寺の活動の一番の目的ではありませんが、それを抜きにしても私たちがご法事をお勤めするのは何のためなのかを改めて考えた出来事でした。
暑さを感じることなく快適に生きたいという願いをかなえてもらうためのご法事なのであれば、暑さの中でのご法事は本末転倒ということになるのでしょう。しかし、浄土真宗のみ教えは単純に私が快適に過ごすことを人生の目的とする教えではありません。
浄土真宗のみ教えに基づいたご法事とは、暑い日であっても寒い日であってもこの命を支えてくださっている大きなはたらきがあることに手を合わせるご縁です。
同時に、私の命を支えてくださっているはたらきがあるにもかかわらず、そこから目を背けて快適さばかりを追求していく自分の姿を知るきっかけとなる場でもあります。
もちろん、近年続いている猛暑のため、体調に不安があってご法事への参加を控えているという方もおられます。「ご法事をあきらめる方がおられないように」という言葉であれば、一理あると受け取ったかもしれません。ですが、快適でなければご法事をしない、という事とは別です。『お参りしたいけれどもできない』と『お参りできるけれどもする気が起きない』この二つは大きく違います。
快適であることを求めることが悪いのではありません。それによって快適ではないものに価値がないと考えてしまっていないか、そうであれば哀しいことだとあのお電話を振り返るのです。
光照寺住職
郡島朋昭