世の中に 最も度し難いものは 他人ではない この私
「あなたに言われなくても、自分のことは自分がよく分かっている。」よくそんな台詞を聞きます。
本当にそうなのでしょうか。
世の中には3つの自分がいると言われます。
それは、「自分が知る自分」「他人が知る自分」そして「自分も他人も知らない自分」
少し怖い話ですね。
鎌倉時代に浄土真宗という新しい仏教を開かれた親鸞聖人は、和讃という詠で仏さまに、煩悩を抱えた人間がそのままの姿で救われていく不思議さ、ありがたさをよろこんでおられます。
「煩悩という自己中心的な想念でしか考えることしかできない私が、仏さまに人間の真の姿(人を妬み、羨み、そんな自分を嫌いになったり、時には人を傷つけることすらはばからない自分の姿)に気づかされた時、そんな私を救わずにはおれないと誓われた仏さまの慈悲の光は、私を見捨てることなく照らし続ける。」
無明の闇(心の闇)を破り、わが身の姿に気づかされた時、柔軟な心でしなやかな生き方へとシフトして行けそうな気がします。
浄土真宗では、仏さまの法を聞くことを第一とします。仏法を聴聞することによって、私の心の闇が照らされて正体が明らかになります。
世の中に最も度し難いのは他人ではなく煩悩(自己中心的な考え方)にまみれた私でしたと気づかされた時、私たちが自然と取る姿が合掌なのではないでしょうか。
仏さまの前で心静かに呼吸を整え、姿勢を正し合掌、そしてお念仏、礼拝。
合掌、礼拝に一日が始まり、合掌、礼拝で一日が終わる
お念仏の日ぐらしは、私たちの心を豊かに柔軟にしてくれますね。
合 掌
養行寺 住職 森谷 大行