那珂組コラム

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今月の法話 令和5年 6月[ 大円寺 藤野晃俊 ]

今年もお盆が近づいてまいりました。暑くなると、大濠公園のお堀の蓮の花も見ごろとなります。

さて、みなさまには蓮と睡蓮のちがいはお分かりでしょうか。品種によって例外はあるようですが、一般的に、睡蓮は花が水面に浮かんでおり、一方、蓮は水面から離れて花が咲きます。両者はともに丸い葉を持っていますが、睡蓮の葉には切れ目があり、蓮の葉には切れ目がありません。また、蓮の葉は水をよくはじきます。昔の子供たちは、大きな蓮の葉を傘代わりにして遊んでいたといいます。
このような蓮ですが、蓮の花と仏教には切っても切れない関係があるようで、当山大円寺の本堂にも蓮華が描かれています。また、ご本尊の阿弥陀様も蓮の花の上に立っていらっしゃいます。(蓮台[れんだい]と言います)どうして仏教ではこのように蓮の花を大切に扱うのでしょうか。
インドでは、蓮の花はお釈迦様にゆかりの花であり、中国やタイ、ベトナムでも特別な花として珍重されているそうです。特に中国においては、蓮の花にはいくつもの徳があるといわれています。調べたところ、四つとか五つ、あるいは八つの徳があると書いてあるものもあります。

その中から選んでみると、まず、「一茎一花(華、果)」(いっけいいっか)。つまり、蓮はひとつの茎にひとつの花や実をつけ、いくつもの花や実をつけたりしないということです。これは私たちの信仰そのものです。けして他の信仰に惑わされてはなりません。
次に「華果同時」(けかどうじ)。蓮は花が咲いたときにはすでにその中に実をつけているというものです。私たちが念仏申し上げるとき、同時にお浄土に生まれることが決まるということをあらわしています。(実際は、蓮の実に見える部分は、丸くて太いめしべであって、まだ実というわけではないのですが。)
三つめは、「泥中不染」(でいちゅうふせん)。蓮の花は、汚い泥から出て咲くが、泥に染まらず、清らかな花を咲かせます。たいていの花は、高原のような陸地で咲き誇りますが、蓮は人が嫌がるような泥の中から茎を伸ばし、大きな花を咲かせるのです。水がきれいだと、小さな花しか咲かないのだそうです。
当山の本堂の壁に描かれている蓮も、さすがに汚らしくは描いてありませんが、蓮の花や葉の下方は黒っぽく、濁ったようになっています。今度よく観察してください。
最後に、「不着水滴」(ふちゃくすいてき)。蓮の葉の上の水滴が、コロコロと玉のようになって落ちていくこと。物事に執着しない心を示しています。北九州市の地場産業である「TOTO」が蓮の葉のこの性質に着目しヒントを得て、汚れがつきにくく、付いても水で簡単に洗い流すことができる壁を開発したとニュースで流れていました。実用面でも役立っているのですね。

このように仏教と深い関わりのある蓮華ですが、本堂や仏壇などに生花が活けられているのを見ることはありません。(ひょっとしたら、私だけかもしれませんが)どうしてなのかその理由はわかりません。
確かに、毒をもつもの、匂いのきついもの、薔薇のように棘のあるもの、これらの花は仏華としては不適切だといわれています。しかし、蓮の花はいずれにも当てはまらないようです。
これは私の当てずっぽうですが、はすの花を仏華として用いない理由は、①すでに壁面などに描いてあることが多い。②その性質上、他の華と一緒に活けることが難しい。③阿弥陀様(ご本尊)が立っていらっしゃる蓮台に使ってある。つまり、はすの花は、他の花とは一線を画す特別な花という事でしょう。

大円寺住職 藤野晃俊