那珂組コラム

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今月の法話 令和7年 2月[ 円龍寺 髙原真証 ]

「因果は巡る」

こんにちは。今日の法話担当の円龍寺です。どうぞよろしくお願いいたします。

円龍寺には25年程昔に大きな銀杏の木がありました。高台にあった木なので500~600mほど離れている「西鉄平尾駅」の方からも、よく見えたそうです。やがて時が過ぎて、寺院が古くなり、改装をする際、前住職も銀杏伐採を躊躇しておりましたが、どうしても伐採をしなければならず、決意をした訳です。その結果、銀杏は本堂の接待用の机になりました。平尾の近くに来られる機会がありましたら是非一度お参り下さい。

さて、「因果は巡る」という話をさせて頂きます。因とは原因の事で、果とは結果のことは、みなさんご存知かと思います。 お寺に隣接している幼稚園で最近耳にする話になりますが、「はい」とすぐ素直に答える子どもが減っているようです。その代わりに「だって」とか「でも」といった言葉が増えてきていると耳にしました。これは悲しい事です。もしかしたら情報システムの多さが原因でしょうか。それとも他に何かあるのでしょうか。

「だって」「でも」は、相手と関わる際に誰でもない自分が損をしている原因になると思います。何故かというと「でも」「だって」とは否定する「言葉」だからです。この言葉は、相手を否定することから始まる「言葉」でもあり、所詮相手の気持ちを遮る物だからです。

誰だって否定されれば「カチン」ときます。その「カチン」ときた気持ちの時に、相手から、何かを頼まれる事もあるでしょう。その時、返ってくる言葉は、必ず「だって」「でも」の二つ返事か好意的な返事は、帰ってこないでしょう。

この事は、私達にも言えるのですが、相手の気持ちも考えて「はい。わかりました」と答えてみませんか。そうすれば、話し相手との会話も弾み、話題も解けやすかったり、相手の印象も良くなり、妥協点も見つかるかもしれません。そして、相手も受け入れ易い状態を築くことができるでしょう。

物事には原因と結果があり、自分が今まで行ってきた因果が巡ってくるのです。

合 掌

円龍寺 住職 髙原 真証