那珂組コラム

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白鵠会 定例会・総会 7月NEW!

白鵠会・総会

日 時:2026年7月23日(木)15時30分〜

会 所:光明寺 (福岡市中央区)
テーマ:『お盆』
講 師:井上 浄英 (那珂川市・真教寺)

お寺での「お盆法座」を設定に20分ほどの法話実践でした。

法話内容の概略として、お盆のおいわれであるお経「盂蘭盆経(うらぼんぎょう)」にふれ、その根底にある迷い姿をこの身のことと知らされ、そこに届く阿弥陀さまの「かならず救う(誓い) われにまかせよ(願い)」のお救いを押さえにお取次ぎしました。

私たちは、誰もが幸せを求め、安心を求めて生きています。そのことを否定しているわけではありませんが、そこにこそ餓鬼道でのありようが響いてきます。それは、求め続けていく姿そのものが執着(しゅうじゃく)という、煩悩を抱えた姿であるのです。それは、安心ではなく、不安の真っ只中に生きている姿です。まさに餓鬼道の世界です。

まことの安心とは何か? そこに阿弥陀さまのお心をいただく「ご安心(ごあんじん)」こそ、不安の中にも生きていけるまことの安心を恵まれるのであります。それがお念仏申す人生であります。不安の真っ只中ではなく、救いのど真ん中なのです。

以前、このようなことを教えていただきました。「浄土真宗の救いとは、“居場所“があるということである」と。それは、この娑婆という居場所を簡単に失う迷いの世界に、阿弥陀さまがご一緒の“居場所”を与えて下さっているといただきます。

“居場所”を味わうご縁として、私の父である前住職の話をさせていただいた。今年が初盆であります。

自宅にてご往生賜りました。横になったベッドの上で、命と向き合う厳しい姿がそこにはありました。その厳しい状況にも、父は残されていく私たちのことを気遣ってくれてました。それとともに、父は先立ってお浄土に参った父や母、そして息子のことを訪ねながら、お浄土に想いを馳せていたと思います。いや、思っていたのです。お念仏申しながら...。

道綽禅師の「安楽集」のお言葉、「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪え~」を味わい、その父の姿は、いのちの理(ことわり)を伝えながら、私たちを導く尊い姿でありました。お念仏申しながらベッドの上でいのちと向き合っていたそこは、“尊き居場所”でありました。

まとめとして、このお盆というのは、この“居場所“を改めて大切にさせていただく仏縁であることをお伝えしました。

法話後の講評では、「盂蘭盆経」のお心をどう伝えるのかという課題とあわせて、浄土真宗のみ教えに照らしてのお味わいをお伝えすることの大切さを改めて確認できました。

また、お盆参りは軒数が多いため、ご法話は5分ほどの時間しか取れません。その時間内で、如何に伝わる法話ができるかとの話になりました。そこでは、仏語や印象に残る言葉を紡いでいくことが大切であると感じたことでした。

井上浄英(那珂川市・真教寺)

2026年 白鵠会総会

定例会後には、2026年度の総会を開催しました。

活動報告・会計報告とあり、無事に承認をいただきました。

改めて当会の活動を紹介しますと、定例会での法話・感話の実践と講評。また、時事耕論と題して、議題を設定し意見交換会を行っています。

また、先般より仏華セミナー(公開講座形式・全3回)を開座しています。

白鵠会は、那珂組の若手僧侶の重要な研鑽の場であることを有り難く思います。

なお、役員交代となりました。会長の任が解けて少しほっとしているところですが、引き続き会と関わりながら、微力ながらもサポートして参りたいと思います。

井上浄英(那珂川市・真教寺)

新会長より
引き続き副会長から持ち上がり、会長の任を仰せつかりました。
お陰様で、副会長以下新役員も頼もしい人材が支えて下さることになりました。

白鵠会結成当初からの先輩方の思いを、引き継いでいく責任を感じております。
また近頃は自坊へ戻り入会する若手が増えていて、とても頼もしい限りです。
立場を超えて、気兼ねなく話すことが出来るというのも「居場所」として大切な要素であると心得、
2年間の任期をを楽しく過ごす事が出来れば何よりです。

佐野唯信(福岡市博多区・専宗寺)