「前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ、連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲す」

昨年、春彼岸の中日に、自宅で百二歳を一期としてお浄土に還られた女性は、若くしてご主人を亡くされ、苦労を重ねながら三人のお子様を育て上げられた方でした。毎年、ご主人の祥月命日には、正信偈を共にお勤めし、終わった後には必ず「今年もご縁にあわせていただき、嬉しい限りです」と、大きな声でお念仏を申されていました。
お通夜の席で、その女性の臨終間際の様子を伺い、お念仏に生きる尊さを教えていただきました。
息を引き取られる数時間前、何かを伝えようと、しきりに手を動かされている姿に気付き、「お母さん何!」と耳を傾けるものの、何を伝えようとしているのか分かりません。そこで、とっさにカレンダーを破り、その裏に五十音を書いて、お母さんのもとへ持って行かれました。「お母さん何!」と五十音を差し出すと、震える手で「お・つ・と・め」と指されました。娘さんは直ぐに経本とお念珠を取りに行き、お念珠をお母さんの手に掛け、正信偈をお勤めされました。「お母さんこれで良い」と尋ねると、ゆっくりうなずかれ、また手を動かされました。再度五十音を差し出すと「あ・り・が・と、ま・つ・て」と指され、それが最後の言葉だったそうです。
「今は前にお浄土に往った父と遇っていることでしょう。最期の最期まで、お念仏を喜び、お念仏とともに生きてきた母でした。私たちも、母がいのちを賭して伝えてくれたお念仏の教えをしっかり受け止め、母の待つお浄土へ、南無阿弥陀仏と、いただいた人生・いのちを精一杯生き抜いていきたいと思います」 そう言われました。
前に生まれた人から後に生まれる人へ、お念仏は受け継がれていきます。そして、私たちが「南無阿弥陀仏」申すとき、前にお浄土へ生まれられた方々とのご縁が、決して途切れていないことを感じさせていただきます。
先代からいただいたお念仏を、今度は私たちが次の人に伝えていく。そうして「連続無窮」、途切れることなくお念仏のご縁が続いていくことを願いながら、私もまた「南無阿弥陀仏」とお念仏申し、日々を歩ませていただきたいと思います。
寂静寺 住職 佐々木龍明


