那珂組コラム

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今月の法話 令和3年 5月[ 妙楽寺 原田 宗明 ]

親鸞さまのご誕生

今月の21日には、私たちの宗祖、親鸞聖人のお誕生をお祝いする『降誕会(ごうたんえ)』をお迎えいたします。みやこの中心から、山ひとつ越えた緑豊かな環境の中で幼少期を過ごしていらっしゃったようですが、御年9歳の時にご家族は離ればなれになり、青蓮院でご出家の後は、そのまま比叡山に入られて20年間を過ごされることになります。比叡山での暮らしの最中には『方丈記』にも記録が残される大震災を経験し、壊滅的な惨状をご覧になられたものと想われます。

 

夢告のご縁により、29歳で法然上人のもと本願念仏の御教えに帰し、その後も越後や北関東の地を経て晩年に京都へお戻りになるまでの間、大変なご苦労を重ねて過ごされたご生涯でありました。
越後では国分寺の寺領内から自由に出て行動することも許されず、北関東では荒れた大地に酷い干ばつで死者が溢れかえるような、想像に絶えがたい過酷な人間世界の有様を、自らの実体験を通して心身ともに刻み込みながら学んで行かれたことでありました。
ただ、辛い人生をうつむいたままに過ごされた訳ではありません。親鸞聖人が残されたお手紙の一部が現代にも伝え残されているのですが、お仲間の方々との何気ないふれあいを心から喜ばれてありましたり、時に悲しい死別の報をお聴きになって涙を流しつつも、お浄土に生まれ往かれた御徳を讃じて、またお浄土で再会する思いを深めたりされるお心の内が記されてあったりいたします。

私たち一人ひとりにも、それぞれの誕生日があります。時代背景や環境はその時の状況によって大きく違いますが、みな共通していることは、人生には、束の間のよろこび以上に、長い苦労を重ねつつ生きていくという現実をもって生まれて来るのだということです。これは、親鸞さまでもお釈迦さまでさえも、変わらぬこの人間世界の現実であります。それを悲観的に感じて下を向いたままに生きていくよりも、先ずは目と目を合わせるようにして静かに仏様に向き合ってみましょう、自分の顔が自然に上を向くはずです。次に両の手を合わせてみましょう、自分自身の命の温もりを感じるはずです。次に声に出して「南無阿弥陀仏」と称えてみましょう、かつて聴いた懐かしい声との重なりが響いてて来るはずです。そして、コロナ禍にある現状ではなかなか会えない人ばかりの寂しい環境に過ごしてこそいますが、大切な人の泣き顔と笑顔とその両方を思い描いてみましょう、優しさの心に出逢うこが出来るはずです。最後に、周囲の人々の姿にも心を振り向けてみましょう、同じ仏様が私を含め一人一人を慈しまれるご本願の心にも気付かされて行くはずです。

親鸞さまが、その生涯をかけて伝え遺して下さったお念仏の御教えは、苦悩のただ中にある私たちこそが、み救いの目当てでありますよ、そのままの人生が徒労に終わることが決して無いように、悟りが全てを受け容れていきます、だから安心して前を向いて、出逢いのご縁を大切に人生を歩み貫きましょう、という阿弥陀如来さまのご本願の御心に出逢うということでありましょう。親鸞さまは、確かに思索と文才に少し長けていらっしゃいましたが、私たちと同じ極めて普通の人間であられました。親鸞さまのご誕生は、私たちそれぞれの誕生とその生涯を象徴することに他なりません。そして同時に、お念仏のご縁により、等しく一人一人の人生がいよいよいかされる御教えに出逢わさせていただくための、大切な意味を見いだすための重要な出来事であると味わうところのものであります。

さて、マスク着用の生活にもすっかり馴染んでしまい、マスクを着けないままで人前に出ることを躊躇うようなほどになってしまいました。マスクをしたまま笑顔になってみても、なかなか相手に気付いていただけないもどかしさを時に寂しく思うことがあったりもいたします。一日も早くそのような悲しい時間が過ぎ去って、またお互いに笑顔で向き合っていける時の到来を待ち望みつつ、しっかりとマスクを着用いたしまして今年の『降誕会』を皆様とともにお迎えしてまいりたいと思います。

妙楽寺
原田 宗明