那珂組コラム

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今月の法話 令和5年 8月[ 一心寺 傍示憲昭 ]

「私をささえる言葉」

お盆を迎えます。今から35年も前のお話しです。

本願寺の鹿児島別院に勤務して初めてのお盆法要を迎えました。8月13日、ご門徒宅をお盆参りしていました。その日だけで50軒ほどお参りしたかと思いますが、もう終わりに近かったでしょう。夜の7時頃にお参りしたSさん宅での出来事です。

「まあ先生、朝7時からお待ちしていました」(鹿児島別院では僧侶職員は先生と呼ばれていました)

「えっ、お葉書でお参りの時間をご案内しましたでしょう。朝7時には来ませんよ。葉書をよく見ください」

「まあ、ホントに。午後7時って書いてありました。私、勘違いしていました。ごめんなさい」

ご夫婦で一日待っていたという割には、怒られるような様子もなく実にのんびりとした会話でした。それからご一緒にお勤めをして、また次のご門徒宅へ行きました。ほんの15分ほどの滞在時間でした。

それから4~5日後のことです。その奥様から別院に電話がありました。

「実は、お盆明けに主人が倒れまして集中治療室に入っております。あの晩、先生がお帰りになったあと、主人が『私にもしものことがあったら、今の先生にお経をあげてもらってくれ』と言っておりました。ですので、その時はどうぞよろしくお願いいたします。」

当時、別院のお参りする部署には7~8名の職員がいて、ご法事やお通夜、葬儀をお勤めするのは、その日その日の担当(いわば日替わり)でした。

勤め始めてまだ数か月。新入職員として初めてのお盆参り。夜の7時、おそらく疲れ果てた顔でお参りしたことでしょう。たった15分の出会いです。にもかかわらず、そのようなご指名をいただいたことに驚き、戸惑うばかりでした。

それから半月ほど。9月のはじめになって、その方がご往生され、お約束通り、お通夜、葬儀、その後のご法事もお勤めさせていただきました。

私の僧侶としての生き方に、大切な根幹をなす出来事となりました。

8月13日は、お参りする私から見れば50軒のうちの1軒(五十分の一)でしたが、お待ち受けのご門徒には、たとえ15分でも、それがすべて。一分の一です。

考えが変わりました。それから、一日、何軒お参りしようと一軒一軒。

一日、何人の方にお会いしようと、お一人お一人、と思いながら接しています。

 

人は去っても その人の ほほえみは去らない

人は去っても その人の ことばは去らない

人は去っても その人の ぬくもりは去らない

人は去っても 拝む掌の中に 帰ってくる

(中西智海先生 「私をささえる言葉」)

 

あれから月日は経ちましたが、その晩の風景やご夫婦のお顔、会話までも思い出します。

私を導き、支えて下さる大切な善知識です。

合 掌

一心寺住職 傍示憲昭