私事ですが、昨年お陰様をもちまして無事に還暦を迎えることが出来ました。
身体はまだまだ元気で病気知らずでは有りますが、悲しいかな物忘れがどうも増えてきたようで、最近も車の鍵を紛失して二日間も大騒動した後で自分の指定の席に腰掛けて、ふとそばに目を向けると、なんとそこにあり、ホッとしたと同時に、自分自身にガッカリしたところです。時には人の名前や、ふとした言葉も出てこないことも多々有ります。
そんな時、少し前までは頭をひねって、思い出すまでひたすら考えたものですが、最近はスマホに聞けば何でもすぐに教えてくれるので助かります。
便利な時代になったものですが、頭をひねるほど考えなくなったことに気付いた私が少し危するのは、アナログ育ちの私と違ってスマホやチャットGPTが当たり前の現代に生まれ育つ若者は、考えるという作業をしなくなるのではと心配にもなります。
人間は頭で考えることをしなくなると感情表現が少しずつ薄れて何れ喜怒哀楽の表現の仕方が分からなくなると言われます。
仏教には三渉の加悩(貪欲・悪・恐痴)というお言葉があり
【 食欲(とんよく) 必要以上に欲しがろ心 】
【 瞋恚(しんに) 怒りや憎しみ嫉悪する心 】
【 愚痴(ぐち) 自己中心的な無知な心 】
これは私たちの心を触む原因となる三つの加悩のことで、人間は欲や感情と理性の狭間で悩み苦しむのですが、かといって無関心・無表情で喜怒哀楽の感情表現をしなくなるのも人間らしさが失われるようで如何なものかと思います。
時代はどんどん進化してAIも人間が理解できる領域を超えていくのでしょうが、何事も過ぎたるは及ばざるが如して、程々が宜しいのではと思うのですが。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
合掌
長鬥寺 高橋 信証


